棘の家の試し読みのおすすめアプリを比較してみた!あらすじと感想も

中山七里さんの小説、棘の家を読了したので、試し読みにおすすめのアプリのご紹介や、私なりの本作品の感想や考察を書いていきます。

まず最初に試し読みのアプリを紹介し、その後感想を書いていきますね。(感想の方は、がっつりネタバレありますので、ご注意ください。)

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    棘の家の感想と考察(ネタバレあり)

    人は誰でも、どんな立場にもなりうる可能性があるということを、これでもかと思い知らされる物語が始まろうとしていました。昨日まで相手だったはずの立場に自分が立たされることになる時、責められるのは誰なのでしょう。そういう運命にあると、開き直りたくなるような展開が繰り広げられていく中で、真実を見失いそうになることこそ、この物語が突きつけようとしていることなのかもしれないと思うのでした。

    明るくて爽やかな音楽でも漂いそうなミステリー路線かと思えば、一見怪しげで神妙とも言えるサスペンスや、さらには巧みな法律路線まで、作風は幅広く、様々な作品の中にあらゆるストーリーを描く中山七里さん。
    脇役だったはずの人物が主人公と入れ替わったり、脇役だと思われた人が、実はとても重要な役目を担っていることも多く、一つずつの作品ごとに主人公は異なったとしても、そのほとんどの作品で物語や主人公たちが見る世界の感覚、そこに描かれる登場人物たちがどこかで絡み合うという作品が多くあります。
    今回の「棘の家」もまた、立場の入れ替わりや、役どころの入れ替わりが巧みに描かれている場面が多くありました。
    中山七里さんは、作家にとって書き続けていけるということこそが最もステイタスである考えていると語っており、読者や世の中が、今、何を求めているのかを正確に汲み取ることで、それらを描き、素早く世の中に送り出すことを、いつも作家として意識していると語っていたことがありました。

    その中山七里さんの最新作である「棘の家」は、2022年5月31日にKADOKAWAより出版、発売されています。書店に平積みされていたから手に取ったという購入動機の浅はかさは、読み進めていく中で、些かの後悔にもなるほど、人の心がこれでもかと描かれている物語と、自分の日常とを照らし合わせてしまう時、やはり今回もハッとさせられる場面が多い作品でした。

    中学教師をしている真木は、ある日、受け持っているクラスの中でいじめが起きているのではないかという相談を生徒から受けるのでした。それは現代の学校にはとても厄介な話以外の何者でもないものなのでしょう。真木や学校の対応も、そう言いたげなものでした。
    出来たら、そんな事実はないことにして欲しいと願うような真木の心情が巧妙に描かれているところが、とても想像しやすく、頷いてしまいます。そしてそれは、生徒を信じたいとか、みんな仲良く学校生活を送って欲しいといった、生徒を想う気持ちという前に、責任を誰が取るのか、問題解決に取り組むとするならば、そこで起こるであろう様々な難関に費やす労力は誰が負うのかといった、どちらかというと、あまり子どもには関係のない大人都合による心情であるように書かれています。しかし、これは教育現場の事実なのだと思いました。
    それが良い悪いは別の話として、例え教育現場でなかったとしても、誰でもがどこかで、ややこしいことに関わりたくなかったり、わざわざ問題を問題として取り上げたいと思わないこと、その煩わしさに共感してしまう場面ではないでしょうか。正義を振り翳すのはとても素敵だと思うけれど、自分は決してそれをしないし、出来たらしたくないというのが誰でもの本音だと思います。
    それは時として、とても責められる事柄のように取り扱われがちですが、ならばあなたは率先して問題解決に取り組んでいるのかと問われる時、果たしてどうだろうと考えさせられる場面でもありました。
    そして、この後に続く場面を思う時、こちら側からみている相手側というのは、本当に一面でしかないのかもしれないと思えてくる場面でもあります。

    学校を代表し、責任を取るであろう校長は、「我が校にいじめはない」と言い張ります。そして、生徒に対して、いじめの証拠となるような写真は消すようにと命じるのでした。それは、いじめはないこととは違うのではないかと、当たり前に疑問を抱かざるを得ません。けれど、このことで事実としてのいじめはなくなりました。それもまた事実なのです。

    そんなある日、真木の小学校六年生になる娘が学校の窓から飛び降ります。自殺を試みたとされました。
    命は助かったものの、怪我を負った真木の娘である陽菜。彼女が学校から飛び降た理由もまた、いじめであるとされました。
    しかし、同じように陽菜が通う学校は、いじめの存在を認めようとはしません。どこかで見た姿が、真木の目の前に映し出されます。
    いじめがあったことも、いじめをねじ伏せようとしたことも、その被害に遭った子が心と体を痛めていることも、紛れもない事実であるにも関わらず、目の前の光景は、少しずつその姿を変えていきます。それも大人たちの都合によって。

    いじめの防止と撲滅、再発を提唱しながらも、我が娘のいじめには気付くことができず、その娘がいじめが原因で学校の窓から飛び降り自殺を図り、娘のいじめ被害を察知できていなかった真木は、父親としてではなく、中学教師として何を思うのでしょうか。
    娘の学校には、いじめがないと言われる時、同じ現実を作った自分や勤める学校の校長に、何を想い、そこに関わる子どもたちに何を教えようとするのでしょう。

    娘の飛び降り自殺未遂を機に物語の立場が変わり始めます。
    受け持つクラス内いじめを決して認めたくない担任教師という立場から、確かにいじめがあったことを学校に認めさせたい親へと立場が一転した真木。さらにここで、元教師であった真木の妻の行動もエスカレートしていきます。
    この時、そんな両親を見ていた小学生の真木の娘は何を思っていたのでしょうか。母親は真木が思いもよらぬ裏切りを続けていました。その姿は潰れかけた少女の心に、どう映っていたのでしょう。いじめは本当に学校内だけの問題として処理されていくべきものなのでしょうか。

    父親としての真木は、娘のいじめについて認めようとしない学校側に業を煮やし始めます。ついこの間、自分も同じことをしていたとは、微塵も思い付きません。そしてその果てに、真木は遂に娘のいじめの加害者児童の名前を告発するのでした。
    このことが更なる事件を招くことになるとは、この時、誰も予想していなかったのかもしれません。

    学校というまるでお役所かのような体裁、教師と親、いじめる側といじめられる側という立場。それぞれの立場や体裁、メンツを懸けて取り巻いていく報道が、本人たちの手中を越えて大きな波を作りながら広がっていく時、誰もがその真意を失いそうになります。
    読んでいるこちらも、時折、広がりすぎた物語に心を奪われることがありました。

    そんな中、陽菜のいじめの加害者だと思われていた児童が死体となって発見されます。それはまたも、大人たちの勝手な推測だったのでしょうか。そして、なんと、この件で真木の息子が殺人の容疑者として疑われ、警察へと連行されていきます。これもまた、大人たちの勝手な推測なのでしょうか。誰かの体裁やメンツのための逮捕なのでしょうか。

    真木のクラスでいじめが発覚した時から、追い詰めたいものは、人を傷付けるという許されない行為だったはずでした。けれど、それを校長たちは子どもの心を傷付ける形でなかったことにします。
    そして、真木の娘は、誰かに傷付けられたことを苦にして、学校の窓から飛び降りるという自殺を図りました。ここでも許されないのは、陽菜のことをそこまで追い詰めたいじめをした行為だったはずでした。けれど、真木は学校の責任を問い、さらに加害児童を告発しました。これで陽菜の傷付いた心は救われたのでしょうか。逆に傷付く者はいなかったのでしょうか。その時の母親の行為は、陽菜を傷付けてはいなかったのでしょうか。何より、真木は傷付かなかったのでしょうか。

    被害児童が遺体となって発見された時、またも、どこかの誰かとの立場や体裁、メンツの入れ替わりが繰り広げられます。
    真木は被害児童やそれを取り巻く人たちを追い詰めたのではないか、違う誤解を生み、それが更なる悲劇を生んでしまったのではないかと考える時、次のページにどんな真実が書かれているのかが気になってしかたありませんでした。

    被害児童が遺体となって発見された後、今度は真木の息子がその容疑者として警察へ連行されます。ここでまたも、何かの立場が入れ替わります。
    真木は被害者なのか、加害者なのか。本当の被害者とは誰なのかという疑問に晒されるような感覚に陥ると共に、物事の中心を誰に置くかによって、それはいつも大きく違ってくるという大前提に立たされます。
    ならば、そもそもこの物語の大前提とは、果たして何だったのだろうと、また最初に戻りたくなる気持ちにも駆られました。

    もしも一番最初、真木が受け持つクラスのいじめをねじ伏せることなく、深掘りしていたら、真木は、誰かの気持ちを見過ごすことなく、陽菜の自殺の前兆にも気付いていたのかもしれません。けれど、妻の変化には気付いていたのでしょうか。
    例えば、身近な誰にも受け取ってもらえなかったとしても、何かを発することで受け取ってもらうことができるSOSにはどんなものがあるのでしょう。

    火のないところに煙は立たないと、よく言いますが、真木の息子が逮捕されるには、それなりの理由があるのでしょうか。真木の息子だから、あるいは陽菜の兄だから、彼は逮捕されたのかもしれないと思う時、また真実を見る目や、真実を探す基準を失いそうになる展開を始めるのでした。

    一時はいじめた側として責められていたにも関わらず、今度は一転して子どもを亡くした加害者児童の親に、「殺人犯の親」というレッテルを貼られ、さらには罵られた真木はどうするべきでしょう。

    立場によって変わる真実を裁くものは何なのかと改めて考えさせられる展開が続いていきます。そもそも真実は、立場やその人の心情によって変わっていいのかという問題がドスンと、最初から突きつけられていることに気付かされます。

    小説

    Posted by ありちーぬ