空白を満たしなさいの原作小説ネタバレと無料動画を見る方法

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原作小説のネタバレと感想

小説全てのあらすじをネタバレ

コミック雑誌「モーニング」に連載をしていた時から、口コミ含め大きな話題を呼び、今の現代社会につたいメッセージが沢山詰まっている話題作『空白を満たしなさい』。存在するはずがない男が再び生きるためにすべきことを見つける物語です。
物語の舞台は死んだはずの人間が蘇り生き返る「復生者」がいるというニュースが世界各地で話題になる日本から始まります。
「復生者」とは一度何らかの原因(自殺や病気、他殺などで)、この世を去った人間が復活し蘇った、その人たちのこと。そんなニュースが飛び交い世界ぎ騒然としている中で、主人公の土屋徹生は36歳はいきなり会社の会議室で目覚めます。そしてその時、同僚から3年前に、自分が自殺で死んだと、いきなりつたえられられるのです。そんな主人公の土屋徹生は36歳のサラリーマン。サラリーマンとしての仕事や昇進も順調で、結婚して家庭をを持ち、幼い子供もいてこれからに期待が膨らんで致し時期でした。そして土屋が同僚から聞いた話によると、3年前に自身は自ら自殺を計り命をおとし、しかも自殺場所と方法は会社の屋上からの飛び降りるというものでした。しかし妻子がいて仕事も何もかも順調で、息子のこれからに期待が膨らみ幸せな生活を送っていた自分が自殺なんてするはずがあるわけないと、自分の死について土屋は疑問に思います。もしかしたら自分は自殺ではなく誰かに殺された他殺ではないのか、もし自殺だとしてもなぜそんな思いにいたったのかと考え、土屋自らが死の理由と解明されなかった空白の3年間を追求していきます。
しかし問題となるのが、3年前の夫の自殺で一度2人きりになり残されていた妻の千佳とひとり息子の璃久。2人がいる場所に戻った土屋でしたが、夫の自殺という事実を未だに消化できていない妻は、トラウマでパニックをおこすこともありました。また自分がいない空白の3年にすくすくと成長していた息子に、土屋自身も戸惑い沢山の疑問を持ちます。なぜ土屋自身が自らいのちを絶たねばならなかったのか、また恨みをや何かの憎しみをかうとしたらそれはなぜなのか、残された家族と触れ合う間に土屋は沢山の疑問を持ち続けます。そして土屋の会社員時代のよき理解者であり親友の権田に相談をし、蘇り生き返った「復生者」の彼が復職しようとしましたがさすがに元の会社には受け入れられませんでした。そこで秋吉夫妻の経営する会社のディスカウントショップにアルバイトをはじめ、その仕事をしながら土屋は謎を突き止めようとします。そして自分は自殺ではなく他殺で、殺されたのではないか?という疑問を解決すべく、元いた会社の警備員をしていた佐伯という人物に事情をきき、その男の行方を追います。そんな中で、土屋の元に【復生者の会】なる奇妙な団体から会合の案内状が届きます。これまた奇妙なもので、会場にいくとその場所で部屋に置かれていたあるDVDによって自分の死の真相を知るのです。そしてその自分の死に直結していたのが、警備員をしていて行方をおっていた男、佐伯だったということ。理由もまた奇妙で佐伯がハトを殺したことを土屋にとがめられ、そのことがきっかけ口論となったことがきっかけでした。
そんな中で土屋同じく「復生者」である仲間に出会い新事業を立ち上げを試みます。同じような境遇の仲間たちとの話の中で、自らの生と死に対する考えを深く考えます。個人というものから「分人主義(作家、平野啓一郎の思想。個人という単体のものではなく、人間はその過ごしていく環境や場所、対する1日応じて、自分の思考や自分としての立ち位置を変えているという考え方のこと。そしてその過ごしていく環境や場所ごとに、変えているその自分のことを「分人」という。ちなみに環境というのは人間関係のことで、周囲の人もお互いに対する分人があり、自分自身もその人に対する分人としての自分を持っているというもの。)」いう考え方や、「ゴッホの死の真相(誰もが知っているオランダ人の超有名人気画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh 1853年3月30日〜1890年7月29日)の死の真相。今まで私たち含め美術好きじゃない人から美術好きな人たちに知られているヴィンセント・ヴァン・ゴッホという画家は「炎の人」という表現がつけられるほど気性も荒くだれもが知るほどの激しい感情を持っていたといわれていました。ただゴッホはその性格のせいで人付き合いが苦手なだけで、人見知りだったということ。そして生きている間には全く絵が売れず極貧の中でいきたせいで、ゴッホの耳切り事件や精神病院への入院をひたすらくりかえすなど、精神に病を患い最後は自ら命を絶ったという、こういったストーリーが有名ですが、こうしたストーリーの中には、後世の人たちが演出としてつけた枝葉が沢山あり、本当は沢山のフィクションが混ざっていること。そして「分人主義」という考え方につながる。)などの話をきき、その話に感銘を得た土屋は、自分の死の真相と向き合うことにより新しく前に向かえるということに気がつきます。これから新しく前に進めるというそんなさなか、世界各国で「復生者」たちつぎつぎと突如消えていきます。自分が昨日まで連絡をとっていた仲間たちともまったく連絡がつかなくなっていきます。土屋自身もいつまた消えていなくなるかわかないと感じ、次来る死のために準備をするようになるのです。
その準備とは、妻や幼い息子のために自分が残していけること、かぎれた時間の中で残された人たちのために土屋は時間を使っていきます。自分に残された時間を残される人たちのために使うという、ある意味での終活のテーマが最後の最後にメッセージとしてかかれています。

感想

「一度死んだ者の蘇生」という重い題材がテーマのこの作品。そしてテーマの作品の中で展開され生まれたた「分人」という考え方が非常に面白かったです。その自分の違う顔の分人と相手の分人が対立したり言い争うという考え方は、普通だとあまり考えられないというか、とても哲学的かつ思想的、ある意味感情的だともいえます。
普段の生活の中で、この考えかたを取り入れたらどう変わるだろう、読んでいる間にいろいろ考えが巡りめぐりました。実際普段の生活で、考えられるかというと考えられるまで時間がかかりそうです。
ただ佐伯はなんだか久しぶりに、数あるいろいろな漫画の中の登場人物の中でも、とにかく気持ち悪く気分が最悪になるくらいに虫唾がはしる登場人物でした。自死という重い題材なので、佐伯の異様な凶変ぶりや女々しいを通り越した恐ろしい雰囲気の登場人物がいない成り立たないものですし、これも分人という自分の中の人物だと思うとなんか納得してしまいました。しかしながらこういう人物がいたほうがストーリーは引き立ちます。
私たちは毎日死というもと隣り合わせでいきています。蘇りが本当にあるにしても、それがただの幻想だとしても、生きていくなかで死に向かっていかない人間はいないのだなと思います。またそれを背負って生きていくのが人間であることだし、その中で残された時間を、その人がどう使いどう過ごし、誰に使い誰と過ごすかは、その人次第なのだなと感じます。大変哲学的な作品でした。そして平野啓一郎さんの思想でもある、「分人主義」というものはとても感銘を受けました。
また誰もが知るオランダ人の有名人気画家ヴィンセント・ヴァン・ゴッホの死の真相の話をする場面も、確かにこれも「分人主義」の思想に繋がるなと思いました。やはりどんなに有名な人で、「炎の人」という表現がつけられるほどの人だとしても、それが本当のその人なのか、気性も荒い部分をだれもが知っていたとしても、それほどの激しい感情を持っていたとしても、それがただの一面に過ぎないのはその通りだと思います。
過激な人と気性が荒い人とそういわれ続けていたゴッホは、ただただその性格から人付き合いが苦手なだけだった、そういう一面があったと思うと気性が荒いだけではないと思えます。そしてゴッホも最近の画家や芸術家と同様に、生きている間には全く絵が売れず極貧の中で生きていたせいで、彼の心の中でいろいろな自分が生まれたのかもしれません。ゴッホで有名な耳切り事件や精神病院への入院を繰り返していたのも、いろいろな自分の分人があったからこそなのかと。精神に病を患い最後は自ら命を絶ったというストーリーが有名ではありますが、そういったストーリーの中に後世の人たちが演出としてつけた枝葉があるのも、本当の彼じゃないというわけではなく、分人がいたからなのかもしれません。だから「分人主義」という考え方を使うと、もしかしたら電車や駅で乱暴で横柄な振る舞いをしてアタックしてくる社会人のおじさんも、もしかしたら本当は優しいパパの一面や、会社ではとってもできる上司という一面もあるのかもしれません。そう思うと「分人主義」という考え方は、自分だけではなく他人に優しくもなり、自分自身のことも深く考え、他人にも優しくなれるかもしれません。もしかしたら今回の漫画にある分人に関しては哲学者が語るかのように固い内容になるので、ほんの少しだけ説教臭いというか、なにかしらの大学の講義や授業の教材のように最初は難しく感じている人も多いかと思いますし、哲学的な意味合いを漫画から読者に伝えたいと思えば、ある意味でとてもわかりやすく伝わると思います。
個人という単体ではなく、過ごしていく環境や場所、対する1日応じて、自分の思考や自分としての立ち位置を変えているという考え方は、たしかに例えば怖い先生の前ではいい子になる子供や、綺麗なタイプの人の前でかっこつける男性のように、私たちもいろんな顔をもっていると思います。それは家族や恋人といるときや、友人といるとき、上司といるとき、仕事をしているときなどさまざまで、この一つ一つが分人というものであるという哲学的な考え方は、賛否両論あるかもしれませんが私は的を射ていると思いました。
過ごしていく環境や場所ごとに、変えているその自分のことを「分人」という考え方に、土屋と同じように感銘を受けたのだなと。
自分自身にも違う自分がいるということで、自分の死について深く考え新しい方向に迎えたのだと思います。
これはある意味で、平野啓一郎さんからの読者そして現代社会で悩める人たちへのメッセージだと思います。最近、とくにこのコロナ禍で芸能人でも自らの手で自殺する方が多くいらっしゃいます。正直なところ芸能人に始まった話ではなく、年間3万人を超える人たちが自殺という選択肢を選んでいます。芸能人で明るくして振る舞っていたとしても、昨日まで明るく楽しくしていた友達も、分人としての違う考え方や顔があり、悩みがあるかもしれません。だからこそこの作品にあるように分人主義を理解し、解く必要があると思います。この作品を読んで、そんな現代社会についてとても考えさせられました。自分に残された時間や、自分がいなくなった後が必ずしもより良い世の中になるわけでもないですし、その後に残された人たちがどう捉えるかはわかりません。いまの現代人の生きるということの難しさと儚さ、そしてその痛みや虚しさ、辛さ美しさが浮き出てそれを痛感させられる作品です。読んでいる間とても充実しながらも、人生のいろいろなことを考えました。少しでも多くの人に、またいまの社会や人生に悩んでいる、特に20〜30代の社会人に、また友人や身近な人の自らの死に直面したことがある方たちに、読んでほしい作品です。またこの小説の最後はとても曖昧な形で幕を閉じついくので、ほんの少しだけモヤモヤが残ったりもします。しかし、もしかしたらその方が人生的には間違っていないのかもしれません。最後のシーンは神聖な雰囲気の感じでフェイドアウトしましたが、3年間の空白が満たされて、満たしおえて終了したと考えるとなんだか収拾がつく気がします。そしてこの作品の全てのシーンや全てを通して、文章が本当に素晴らしいです。哲学的かつ思想的なものもあれば、文語的な美しさもあり、なによりもラストの美しさと言葉選びは最高でした。久しぶりに本当に良い漫画に出会った気がします。これは当たり作品です。