生きる意味なんてない?自分で見つければいい?その答えとは
こんにちは、ありちーぬです。
私たちは何故、生きるのでしょうか?生きる意味ってなんなんでしょうか?
誰もがぶち当たり、考え続ける壁だと思います。私も、今まで散々考えてきました。
結論から言えば、生きる意味はあるのです。
でもなぜそういえるのか?
そこに至るまでの思考の過程を書きたいと思います。
まず科学的に考えたら、『生きる意味なんてない』という話をします。
科学的に考えたら人生に意味なんてない
私は、理系の大学出身なので、科学的に考えた話をします。
まず、人間が生まれるのも死ぬのも、科学的に考えればただの自然現象です。
45億年前に地球が生まれましたが、それはただの偶然であり、自然現象にすぎません。
その後、原始地球の海の中で化学合成が行われ、最初に有機物が生まれましたがそれもただの自然現象。
有機物がだんだんと化学合成が進み、原始生命が生まれ、進化が始まって魚類が生まれ、両生類、爬虫類、哺乳類へと進化し、人間が生まれました。
その過程はすべて科学的に説明のできる自然現象です。自然現象に、意味などありません。
私たちが生まれて死ぬのも、その自然現象の一つに過ぎません。
台風が発生することに意味はありますか?台風に生まれた意味などありますか?
ないですよね。
それと一緒です。
人間が生まれるのも、台風が生まれたのと同じようなただの自然現象であり、生まれた意味や生きる意味など、科学的に考えれば何もないのです。
ですので、科学的に考えれば、私たちが何故生まれたのか、何故生きるのか、生きる目的は何なのかなど、議論の余地すらなく、
「すべて意味なし!ただの自然現象である!」という結論になるのです。
じゃあ生きる意味は自分で見つける?
科学的に突き詰めて考えていくと、どうやったって生きる意味など見つかりません。
じゃあ生きてても無駄だからさっさと自殺してしまえばいいのか?
いやいや、それじゃ寂しすぎますよね。
そこで出てくる考え方として、よく言われる話が、
生きる意味なんてないのだから、自分で見つければいいじゃんということ。
「生きる意味は自分で見つける」ということです。
誰かに命令されて誰かの思い通りになて生きるのではなく、自分の意思をはっきりもって、自分で自分の人生を切り開いていこう。
自分の人生の意味は自分で見つければいい。
他人のものさしで自分をはかるのではなく、自分のものさしをきちんと持って、自分が納得する人生を歩んでいこう。
こういう考え方はすごく大切なことです。
世の中のほとんどの人は、他人のものさしで自分をはかります。
例えば、学歴が高かったら優れている、年収が高かったら優れている、ケンカが強かったら優れている、身長が高かったら優れている。。。
色々なものさしがありますよね。
そういう、他人が言う「こうだったら優れている」という考え方に振り回されて、
「俺は学歴が低いからダメだ…」「俺は年収が低いからダメだ・・・」などと思ってしまうのは、とても残念です。
人には、それぞれ一人一人、長所があります。自分だけにしかできない何かがあります。
例えば、田舎で農業を営んでいる、おっさんがいたとします。
そのおっさんは、学歴は中卒だし、年収は低いし、社会的にあまりほめられた経歴などないとします。
でも、そのおっさんは「俺は学歴も年収も低いけど、俺の農作物を食べて喜んでくれる人がいる。それが嬉しくてね。農業は大変だけど楽しくて仕方がないよ。俺の生きがいだね。いい農作物が作れるやつが世界で一番偉いのさ!」
といいます。
世間一般から見れば、「年収も学歴も低い馬鹿で田舎でダサい農業やってるおっさん」かもしれません。
でも、そのおっさん自身は「いい農作物を作れるやつが世界一」だと思っているわけですから、そのおっさんの中では「俺は世界一の人間だ」と自信と活気に満ちているわけですよ。
たとえ、東大卒の高年収のやつに低年収低学歴だとバカにされても、「んなもん知らん!農作物を作れる俺のほうが偉い!」と自身満々で笑顔で幸せでいれるわけですね。
生きる意味ってそういうふうにして見つければいいんじゃないかなと思います。
自分自身の価値観の中では、自分が世界一なんだから、もはや無敵ですよね。幸せで自信満々になるしかありません。
それって痛い人じゃ・・・って思うかもしれませんが、違います。
そういう人は、他人が持っている価値観もしっかり受け入れられる、懐の広い人物でもあるのです。
逆に考えて見ましょう。
他人や世間一般の価値観にばかり振り回されていると、
「俺は学歴も低いし、こんな田舎でダサい農業やってるから年収も低いし、ダメだあ」
となって、暗い気持ちにばかりなってしまうわけですね。
そして都会に出て行った高学歴高年収のやつらにバカにされて悔しくて悲しい気持ちになっていくと。
世間一般の価値観で自分をはかってはいけません。自分自身の価値観をしっかり持つこと。
それだけでも、人生の幸せ度合いは大きく変わってきます。
そして、そういうふうに、社会や世間一般の常識とは別のところに自分の価値観を持っておいて、自分の世界観でしっかり生きていく。
そういう考え方をするほうが、面白い人生を送れるし、面白い人になれるし、死ぬときに悔いが残らず、しっかり自分の人生を生きた、といえるでしょう。
それもひとつの道です。
さらに考えを進めて、客観的に考えてみる
最初に、私は科学的な話をしました。
科学的に考えれば、人間の発生と死の過程は自然現象にすぎないのだから、生きる意味はないといいました。
しかし、本当にそういえるでしょうか?
宇宙では科学では解明されていない部分もいまだたくさんあります。
いや、本当に科学でこの宇宙やこの世界のこと、全て解明することなど可能なのでしょうか?
現代の科学では、宇宙の全質量の5%しか解明できていません。
宇宙の95%はいまだ、謎なのです。
そして、宇宙は無限ですから、人間の考える科学という道具では説明できない部分がたくさんあるわけです。
ですから、科学で解明できている範囲では生きる意味はないかもしれないけど、
科学で解明できていない部分で、生きる意味、私たちが与えられた人生の意味というのはあるかもしれません。
もしそうなのであれば、、、
田舎の農業やってるおっさん、という例を出して、生きる意味は自分で見つけるのが大切だといいましたが。
もっともっと、それ以上に大切な、本当に与えられた生きる意味というものがあるかもしれません。
本当の生きる意味とは
本当の生きる意味。私たちが生まれてきた意味。
それは、
良い行為を行い、徳を積むこと
です。徳を積むことで、魂のレベルが上がり、未来永劫幸せに生きていくことができるようになります。
世の中には見える人や霊能力者がいます。
その見える人の中でも究極なのは、東南アジア諸国で瞑想修行をされている僧侶の方々です。
彼らは瞑想の中で、実際に起こった犯罪の、犯人しか知りえないようなことをピシャリと言い当てます。
瞑想により何でも見えるそうです。
特に瞑想修行が進んでいる方は、天国や地獄の様子すら見ることができるのです。
そして、そういった僧侶の方々が口々に言うのは、
人生は善い行いをして徳を積み、よりよい魂になるために与えられている、ということです。
これを信じる信じないはあなた次第です。
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